聖 な る 労 働
・私が信仰者で尊敬する人に共通するのは、「祈りの人」であるということです。しかも、毎日早朝に聖書を読み、祈る時を持たれている。
・「朝の15分があなたを変える」という言葉によって私は〝朝の密室〟(ディボーション)を教えられた。
・何よりも先に聖書を読み、祈りをするというこの生活は、わずか15分でもなかなか守り抜くことが難しかった。寝過ごしたり、この世のことに心がひかれたり、理由なしにみことばがうとましく感じられたり、私の密室は何度もつまづいた。しかし、朝のひととき、静かにみことばを読む時確かに私の心に神の愛が迫ってくる。主イエスが「ほかのひと」ではなく「わたしの主」となってくださる。そして朝ごとにその愛に恐縮し、おどろき、感謝し、喜ぶことができ、気力、活力が与えられる。こうして失敗だらけの私ではあるが、主の十字架の愛に生かされている実感に満たされる。
・イスラエルの民はエジプトを脱出して約束の地カナンに至るまで、40年の間、毎早朝天よりのマナを集め、それによって養われ、苦難にみちた荒野を踏破することができた。聖書によると「マナ」は日々の分を早朝ごとに集めなければならなかった。昨日のマナは今日の彼らの養いにはならなかった。今日というこの日を、キリスト者として生きていくためには大きな力を必要とする。
・フォーサイスは『祈りの精神』(ヨルダン社)の中で祈りについて「聖なる労働」だと言っている。祈りの困難さ、弱さを率直に認め、なんとしても毎朝聖書を読み、祈る時を持とう!
「彼らは、朝ごとにそれを集めた。」(出エジプト記16:21)
石田政美(横浜JOYバプテスト教会・派遣牧師)