「ゆとり」を与えてくださる神
・人生にはさまざまな苦しみがあり、ハプニングがあります。ダビデは自分の息子アブサロムにいのちをねらわれ、マントを頭からかぶり、はだしで泣きながら逃げるということがありました。子どもが親を殺そうとしたのです。ダビデの人生でこれほど絶望的なことはなかったのです。
・そんな時、ダビデの口から「しかし、主よ」(詩篇3:3新改訳)という祈りが出たことに驚きを覚えます。「ダビデの救いはない、今度はだめだ」(詩篇3:2新改訳)とみなが言い、自分でもそう思った時にもダビデは「救いは主にある」と叫び祈ることができたのです。
・私たちは、ダビデと同じような立場に置かれた時、どうするでしょう。「しかし、主よ」と言って神に祈ることができるでしょうか。
・「しかし、主よ」という祈りは、だれも私の訴えを聞いてくれなくても、神だけは聞いてくださるという確信です。神は窮地のダビデに「ゆとり」の心を与えてくださったと、詩篇で語っています。
「あなたは、私の苦しみのときに、ゆとりを与えてくださいました。」(詩篇4:1新改訳)
・人生の問題、試練はさまざまです。そんな時まず必要なのは、この「心のゆとり」ではないでしょうか。心にゆとりがあると、どんな切羽詰まった時も、道が開かれ、主の御手のわざを見ることができるの です。
石田政美(横浜JOYバプテスト教会・派遣牧師)