人生の訓練
・現代は訓練を忘れた時代である。昔から守られてきた人生における訓練の道はくずれ、そのために社会をささえる大切な基盤がぐらついてきている。家庭における訓練、すなわち、しつけも「親は子に従え」式の新しい考え方のために、姿を消そうとしている。学校における訓練、すなわち、きびしい教育方法も、子どもに上からの意志を押しつけることは、人格の正しい形成をゆがめるものであるという進歩的教育法の影響で、しだいに行われなくなってきた。また、昔から行われてきた学問上の訓練、すなわち一般教養科目である数学、古語、文法などは、古くて重要性がないとして、無視されている。とりわけ、神の恵みの訓練を受けることは律法主義であるとして嘲笑されている。
・私たちは、訓練によってのみ得られる、キリスト者としてのしっかりした人格を身につけるために、霊的、精神的、肉体的、社会的な訓練を受けなければならない。そうでなければ、家庭はそのあたたかみを失うばかりか家庭そのものが破壊される。教室では教師が指導力を失い、教科書は厳格さを失い、聖書の権威も否認されてしまう。
・イエスさまの「弟子になる」ということは、「訓練を受ける者になる」という意味である。たとい主の御名を口にし、謙遜なイエスさまに従う者であっても、師なる方の訓練を受けなければ、弟子ではない。規律が重んじられる代わりに、自由が強調される現代においては、これまでにまして、主の弟子としてのきびしい訓練を受ける必要がある。(ヘブライ人への手紙12:3~7)
石田政美(横浜JOYバプテスト教会 派遣牧師)