「力への渇望」
・神がこの地上をご覧になるとき、神は涙を流されます。それは、力への渇望が人々の心を捕え、人間の精神が蝕んでいるからです。感謝より恨みが、称賛より批判が、赦しよりも復讐が、癒しよりも傷つけ合いが、憐れむよりも競争が、協力よりも暴力が、また、愛よりも底知れない恐れがあります。
・戦場に横たわる数千数万人もの死負傷者、大都市で放浪している孤独なストリート・チルドレン、厚い壁と鉄柵で閉じ込められた大規模施設の病棟に収容され、ただ時間が過ぎるのを待っている心病んだ人々、飢餓でまた放置されて死んでいく数百万の人々、神はそうした光景をこの美しい地球に見て、涙を流されています。
・神の視点で私たちのまわりを、また自分の内を見つめてみると、力への渇望が広く浸透していることがよく分かります。私たちは、まわりの人が自分に気づいてくれるだろうか、評判はどうだろうか、得するだろうかとつねに気を配り、また隣りにいる人と比較して、自分は優れているか劣っているか、強いか弱いか、早いか遅いかをいつも自分に問うていないでしょうか。
・神はそのような私たち、自分の存在を示したいがために力を利用する私たちを目にするたびに涙を流されます。
・しかし神は、この世界を悲しみと怒りの目で眺めているだけではありません。神の慈しみは、神の悲しみや怒りより、はるかに大きいのです。すべてを包み込む慈しみ深い神は、この悪の力を解除するために、ご自身が無力になることを選ばれたのです。 (続く)
石田政美(横浜JOYバプテスト教会・派遣牧師)