ゆだねるとは
・ブルンナーは、今日のキリスト教がこんなに色あせているのは、今日のキリスト者に神にゆだねるということが欠けているからだと語っています。負いきれない重荷と知りながらも自分が負おうとしたり、あるいはのがれようとする私たちに、「あなたの重荷を主にゆだねよ」と神はきょうも呼びかけています。
・「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる。」(詩篇55:23) なんとすばらしい約束でしょう。しかし、重荷を主にゆだねるとは、実際にどういうことなのでしょうか。
・まず、神にすべてを残らず正直に申し上げることです。17、18節を見ると「わたしは神を呼ぶ。主はわたしを救ってくださる。夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。神はわたしの声を聞いてくださる。」とあります。洗いざらい、人にではなく神に申し上げることです。愚痴っぽい訴えになるかもしれません。しかし、だんだん「ああ、そのことはわたしの責任だ。わたしに任せなさい」と言ってくださる神の前に、一つ一つの重荷をお任せできるようになります。
・私たちはすぐに、あの人が悪い、このことが原因…と考えます。しかし、祈りつつ神の御前に出ていると、すべてが人生の重荷は神の摂理のうちに起こることと知らされ、最高責任者である神にお任せする(ゆだねる)ことができるのです。
・時が来れば、神は神の方法によって最善の決着をつけてくださいます。それゆえ自分であがき、もだえることはやめ、神の時を忍耐強く待つこと。それがゆだねる、ということではないでしょうか。
石田政美(横浜JOYバプテスト教会・派遣牧師)