荒野の祝福(3)ー神中心の歩みー
・荒野は人が住みにくい環境です。しかし、荒野での生活はのろいではなく、祝福です。申命記8章1~2節に「あなたの神、主が導かれたこの40年の荒野の旅を思い起こしなさい。」と、荒野の道を歩ませておられるお方は神だとあります。このみことばのゆえに荒野は祝福に変わります。神は真実な方、失敗のない方、神は慈しみ深く、私たちに祝福と限りない愛を注がれます。神の関心はさばきや滅亡ではなく、永遠のいのちです。(ヨハネ3:16)
・慈しみ深く失敗されることのない神が、私たちを荒野に置かれました。神がそうされたので、私たちは苦しく理解しがたいものであっても荒野は祝福の場なのです。
・神はご自身の民を「荒野」という学校に入れました。その第一の目的は、神中心の歩みをするということです。そこで、神だけを頼り、生きていくことにより、荒野が祝福の場所なのです。
・私たちは、あまりにも多くのことに関心を持っています。そのため、神もその中の一つであるかのように思ってしまいます。なぜ、私たちの生活は複雑で忙しいのでしょうか。それは不必要なものをたくさん持っているからです。持っていないと不安になるからです。
・「40年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。」(申命記8:4) どうしてそんなことがあり得るのでしょうか。それは苦難(荒野の生活)が来ると私たちの重要でない部分は消え、重要な部分だけが残るからです。
・イエスさまは約束してくださいました。「まず神の国と神の義を求めよ。そうすれば、必要なものはすべて与えられます。」(マタイ6:32~34)
石田政美(横浜JOYバプテスト教会・派遣牧師)