・ある時、教会におばあさんが来られて「こちらの神様はどこにいらっしゃるのですか」と聞かれたことがあります。御神体がないのを不審に思ったらしいのです。多くの人は、像のような何か形がないと拝めないと感じているようですが、クリスチャンは、像を拝まないだけでなく、葬式や法事で仏様を拝むということも遠慮しています。
・「かたちだけなんだからいいじゃないですか」と言われたことがありました。しかし、かたちだけと言われても、やはり私たちはこだわるのです。なぜでしょうか。それには2つの理由があります。第一には、偶像礼拝は偉大な神を引き下げることになるからです。第二には、偉大な人間を引き下げることになるからです。神が偉大であるということは異論がなくても、人間が偉大であると言われると抵抗を感じるかもしれません。しかし、聖書は、人間が偉大であることを語っています。
・創世記一章で、人間は神ご自身のかたちに似せて造られたと記しています。そして、他の被造物はすべて人間のために造られたと記す。人間は「神よりいくらか劣るもの」として造られた神様の最高の作品されていまだと、聖書で語っています。また、イエス様は「兄弟をばか者という人は地獄に投げ込まれる」とおっしゃり、自分で自分をばかにすることも悲しまれます。しかし、人間が自分をばかにする姿の中でもその最たるもの、それが偶像礼拝です。神に似せて造られた尊厳ある人間が、人格のないものに向かって頭を下げているのですから。
・元旦に神社に手を合わせてお参りしているクリスチャンの大物国会議員がテレビに映し出されていました。
石田政美(横浜JOYバプテスト教会・派遣牧師)