「弱く欠けの多い者を用いられる」(4)
・神は弱い者たちに関心をもっておられます。いや、むしろ弱い者をこそ引き上げて、お用いになられるのです。
・パウロは、何一つ欠けたところのない人でした。血筋、地位、学識、律法を正しく守っているという点においても、足りないものは何一つありませんでした(フィリピ3:5~6)。しかし、このようなものは、人を高慢にさせる危険性を秘めています。神はパウロを弱い者とされたのです。とげによって、パウロは完全に神だけに拠り頼む者となり、全能なる神の御力をこの世に現わすようになったのです。パウロは「私自身については弱さ以外には誇るつもりはない」(Ⅱコリント12:5)と語っています。強い者でさえ弱くしてから用いられる神にとって、私たちが神だけを頼り、死に至るまで忠実に歩むなら、必ず大いに用いられます。
・すべての力の源は神にあります。無限大に一を掛けても、一万を掛けても、答は無限大です。無限大の力を持っておられる神にとって、大切なのは、この神を頼るか頼らないかということだけです。パウロは声高に自分の弱さを誇っています。「主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(Ⅱコリント12:9)
・神なしの表面的な強さは、実は無力なのです。私たちは弱い土の器です。しかしイエス様がともにおられるなら、私たちは栄光ある土の器となるのです。イエス様はこの弱い弟子たちを通して福音を地の果て にまで伝えることを願われたのです。
石田政美(横浜JOYバプテスト教会・派遣牧師)