神の冒険としてのクリスマス
・クリスマス前4週間をアドベントと言いますが、これはラテン語のアドベントゥスという「到来」とか「到着」とかを意味する言葉からきています。
・エリコの町で収税人ザアカイの客となる主イエスは、ザアカイにとっては「来訪者キリスト」を得たクリスマスであったと言ってよいと思います。そこには、主イエスが人々から「罪人の家にはいって客となった」(ルカ19:7 口語訳)と言われたとありますが、まさにクリスマスは、罪人の家に来られた主の来訪であったと思うのです。
・ところで、この来訪はまた、「危険」を冒すことでもありました。それは危険な場所に身を寄せる行為であり、罪人の家に赴く冒険であったのです。英語でいう冒険、アドベンチュアはやはり、この危険な場に踏み込む到来、アドベントゥスからきています。神の到来としてのクリスマスは、実は神の「冒険」としてのクリスマスであったのです。この冒険の内容の頂点は主の十字架です。主はクリスマスにおいて、十字架に向かう冒険の道を歩み始められたのです。そのために主は来られたのです。
・クリスマスを神の冒険として理解するとき、私たちの人生もまた冒険へと招かれていることを知るべきです。神のご計画の中に人生を深く入れられて生きるあり方です。神に用いられる人生です。神とその御国のために生きる人生です。御信頼に生きる冒険の人生です。
・ティリッヒという神学者は言いました。「危険を冒して失敗する人生は赦される。危険を冒さず、決して失敗もしない人生は、その全存在において失敗している」と。クリスマスは私たちを冒険の人生に押し出し駆り立てるのです。
石田政美(横浜JOYバプテスト教会・派遣牧師)